映画「シャーロック・ホームズ」は拾い物2010年04月08日

 2010年3月から公開されている映画「シャーロック・ホームズ」にはあまり期待していなかった。予告編やポスターを見た限りでは、私のイメージしているホームズ像とはかけ離れたアクション映画のように思え、ホームズを冒涜しているようにさえ感じられたのだ。しかし、これが意外にも面白かった。

 私はそこそこのシャーロック・ホームズ・ファンである。シャーロック・ホームズの物語は小学生の頃から読んでいて、一時はかなりハマったこともあり、多少のこだわりもある。

 シャーロック・ホームズの原典には挿絵があり、それによって一定のイメージが作られている。ホームズは何度か映像化されているが、グラナダTV版シリーズ(NHKで放映したシリーズ)が原典の雰囲気をうまく映像化していて、ホームズ像を定着させたように思える。
 今回の映画は従来のホームズのイメージからは逸脱している。しかし、原典に忠実でないとは言えないと思う。ぎりぎり許せる範囲で従来とは少し異なる「これもアリ」と思わせるホームズ像を映像化しているのに感心した。ホームズを扱ったパロディの傑作も多いが、この映画はパロディではなく原典に忠実な正統派ホームズ物の一つと言える。

 この映画の登場人物たちは、従来のイメージから少しずつズレている。ホームズはやや薄汚いマッチョ、ワトソンは活動的な皮肉家、アドラーは妖艶、下宿屋のハドソン夫人は意地悪、原作では明に登場しないワトソンの結婚相手メアリーは勝気な女性になっている。総じて、みんな活動的でやや軽薄でとんがっている。よくよく考えてみて、ホームズの原典からこれらの登場人物像を想定するのは可能であると思い至った。

 ホームズ・ファンはホームズを実在人物と考えることになっている。したがって、4冊の長編と5冊の短編集に収録された60の事件の記録は、ワトソンがコナン・ドイルの名のもとに書いたものである。ワトソンも人間だから、正確無比の写実で事件を記録しているとは限らない。自分を含めた人物像は多少脚色されている可能性が高い。少しカッコよく描いたり、世に受け入れられやすいよう常識的人物として描いたりしているかもしれない。
 だから、ファンは原典の行間と紙背から真の人物像を推測しなけらばならない。この映画はその推測の一つである。よくできた推測だと思う。
 ワトソンが残した記録は実際にホームズが手掛けた事件の一部であり、国家を震撼させるような大事件などは、差しさわりがあって発表されていない。この映画は、そのあたりの事情をふまえた未発表の事件のようだ。よくできた事件だと思う。

 もう一つ、私がこの映画を気に入ったのは、ダン・ブラウンばりの大陰謀+オカルトを扱っていて、きちんとオカルト否定にもっていっている所だ。原典の多くの事件におけるホームズ独特の牽強付会的な推理が必ずしも「合理的」「科学的」でないという指摘もあるが、「合理的」「科学的」であろうとする精神は大切である。この精神は、妖精の写真を信じたコナン・ドイルには欠けていたかもしれないが。