「わかった」は「わからない」の始まり── 素粒子物理から宇宙論、そして……2009年11月22日

○失われた反物質

 素粒子物理学の三田一郎博士のお話を聞く機会があった。三田博士は「CP対称性の破れ」に関する世界的な研究者だ。
 昨年、ノーベル物理学賞を受賞した「小林・益川理論」は、CP対称性の破れからクォークが6個あることを1972年に予言したもので、この理論が実験で検証されたことがノーベル賞受賞につながった。
 「小林・益川理論」の検証実験は、日本の高エネルギー研究所と米国の研究所が熾烈な競争を展開し、日本が先に成果を上げることができた。
 日本と米国の検証実験のベースになったのが、三田博士が1981年に発表した「B中間子ではより大きなCP対称性の破れが発見できるはずだ」という趣旨の論文だ。
 三田博士の尽力もあり、高エネルギー研究所はBファクトリー(B中間子を大量に発生させる加速器)を立ち上げた。この装置には約500億円かかったそうだ。
 「CP対称性の破れ」の検証が注目されるのは、それが、この宇宙の存在つまりは我々の存在の解明につながるからだ。CP対称性に「破れ」がないとすれば、ビッグバン(宇宙の始まり)において物質と反物質が打ち消しあって、宇宙には物質が存在しないことになる。「CP対称性の破れ」によって、物質の方が反物質よりわずかに多かったため、反物質が失われて物質だけのこの宇宙ができたのだ。
 ……宇宙の誕生をめぐるこういう話は、どこまで理解できるかはおくとしても、非常に興味をそそられる。

○まだ、わかっていないことは多い

 「小林・益川理論」が検証されたことによって、この宇宙が物質で成り立っていることが理論づけられたのかと思っていたが、そんなに単純な話ではないらしい。「小林・益川理論」だけでは数値が合わず、宇宙誕生に関してはわからないことが多いそうだ。
 「まだまだ新発見の余地はいっぱいあります」と三田博士は目を輝かせて語った。そして「わかるということは、わからないの始まりなのです」と語った。
 それは、そのとおりだろうと思う。「知るとは、知らざるを知ることだ」ということもある。ただし、このような境地は不可知論とは少し違うだろう。あまり考えることなく、ただ「わからない」と思うのと、何かを突き詰めて「わかった」と思ったうえで「わからない」と思うのは天地ほどに異なるはずだ。

○三田博士はカソリックの助祭

 三田博士は優秀な物理学者であると同時にカソリックの助祭(司祭に次ぐ聖職者)でもある。宗教と科学を対極のものと考える傾向のある私にとってはちょとした驚きである。
 三田博士は、1962年に中学2年で親の転勤にのため渡米して以来、1992年に名古屋大学教授に就任するまでの30年間を米国で過ごされている。「欧米では、科学者で神を信じている人が多いのですか」と尋ねてみると、そうでしょうとの返事だった。尋ねるまでもなく、欧米では無神論者=野蛮人的な感覚があるのだと気づいた。
 しかし、三田博士が「神が存在する」と考えるようになったのは、五十歳の頃だそうだから、帰国後である。素粒子物理学やビッグバンの研究をとおして「なぜ物理法則はシンプルで美しいのか」「なぜビッグバンが発生したのか」を追究するなかで「すべてが科学でわかるわけではない」と気づき、神の存在を信じるようになったらしい。
 言われてみれば、そうなのかなと思うが、私は当分そのよな境地に到達しそうにはない。
 最近、プロテスタントの牧師と交流する機会もあった。その体験とも比較して次のような勝手な感想を得た。
 「プラグマティズムに生きる経営者はプロテスタントに通じ、真理を哲学的に考察しようとする学者はカソリックに通じる」

○2位はビリである

 三田博士は日本の子供たちの教育にも大きな関心と危機感を抱いており、その内容には共感できる点が多かった。
 また、Bファクトリーの日米競争の話に関して「科学の世界の競争は1位にならなければ意味がありません。オリンピックと違って2位はビリと同じです」とおっしゃた。一番乗りだけが「発見」として評価されるのであり、一歩遅れはゼロになってしまうのだ。
 博士は科学技術に関する民主党の「事業仕分け」にも懸念を表明し「2位じゃだめなのですか」という質問を批判していた。
 私も、科学技術の分野において「2位じゃだめなのですか(=2位でもいいじゃないですか)」は言わずもがなの愚問だと思う。もちろん、それが本当に科学技術的に意味のあるテーマかどうかという問題はあるが。